母の玩具になって、かれこれどれくらい経つだろうか。私にとっては、我慢の限界が近い。張り切っている母には悪いが、一体何着の浴衣を着れば気が済むのだろうか。これでもない。あれでもない。とかいいながら、浴衣を次々に渡しては着せる。やっと納得のものが決まれば、次はその装飾品を考える。そして、その装飾品が特に際立つような髪をセットしようとするのだ。 「…母さん、まだやるの?」 髪などそこまでやらなくていいと思ったのだ。別に普段と同じでも十分なのではないかと。少し変えるにしても、すぐに終わるものだと思っていたのだが、母の場合はそうはいかない。 「当たり前でしょう?いつも仁美の髪を弄っているのだから、今日も弄らせていただきます」 母は、美容師時代の道具を引っ張りだして、髪に鋏を入れる。本当にどれくらい私を拘束するつもりなのか、教えてもらいたい。だが、今日だけはいろんな意味で諦めるしかない。これもすべて、誠人が悪い。アイツが悪い。私は何も悪いことはしていない。そういえば、アイツが来るまで私を弄るって言ってたっけ…あぁ、17時まであと何分くらいなんだろう。時計のほうに目を傾けると、まだ16時。あと1時間もある。 そのときだ。家のインターホンが鳴り響く。 「あら、来たようね。仁美、ちょっと待っててね」 すると、母は和室から出て行った。一体、誰が来たのだろうか。まるで、誰か来るのをわかっているみたいだったし。 「ごめんね。高志君。1時間も前に呼び出して」 ドアが開く音が聞こえると、母は確かにアイツの名前を呼んだ。待て。どうして、アイツが来てるわけ?しかも、母が約束の1時間前に呼び出したって何をするつもり? 「いえ、久しぶりですね。仁美のお母さん…」 「本当よね。あの子ったら、高志君のことも喋らなくなっちゃったからねぇ…でもね、お母さんから話を聞いてるのよ」 「そうですか、で、何の御用で…?」 つか、何?会話丸聞こえなんですけど。それに、母よ、余計なことは喋るな。つか、喋らなくなったんじゃなくて、元から喋ってないから!それより、本当にどうして家に呼んだのよ? 「えぇ。上がってくれる?高志君」 「ぁ…はい」 あぁ、足音が近づいてくる音が聞こえる。 「仁美の準備がまだ終わってなくてね。ちょっと待っててね。すぐに終わらせて高志君の準備にかかるから」 「…へ?」 アイツの間抜けな声が聞こえる。つか、どういう意味?アイツの準備って何?男子については何も言ってなかったと思うけど。 「女の子を引き立てるのは男の子の役目でしょう?だから、高志君にも浴衣来てもらいます」 「ちょっ、ちょっと待ってください。そんな話、俺聞いてませんけど…」 「心配いらないわ。誠人君と、高志君のお母さんから許可はもらっているからね」 誠人の野郎、アイツ何を考えてやがる。そして、母も母だ。どうしてアイツまで巻き込もうとしている。いや、もしかしたら、母のほうから言いだしたのかも知れない。だったら、誠人に勝ち目はない。 「いや、それでも…」 アイツの姿は見えないが、アイツの声だけでどういう状況なのか頭の中で浮かび上がる。絶対に嫌だと拒否したいが、私の母の強引さを知っているためにそれが不可能だと悟っているのだろう。 「大丈夫よ。ちゃんと1時間もあれば準備ばっちりだから。ねぇ、あーくん?」 あーくん。母は、兄のことをそう呼ぶ。兄の名前は、彰人。母の影響を受けてか、現在美容系の学校に通っている。 「そう、俺に任せておけって。高志」 リビングにいた兄の声も聞こえてくる。あぁ、これでアイツは完璧に逃げられない。なぜなら、高志にとって兄は、部活動の先輩にあたり、逆らうことなどしにくいはずだ。 「彰人さ…ん…」 「心配するな。もちろん無料でやってやるから。俺に任せろ」 「…はい」 屈したな。かわいそうに。1人だけ浴衣姿って…絶対、皆にいじめられるな。ぁ、だけどアイツが好きな女子は逆に喜ぶかも。勝手な妄想をしていると母が戻ってきた。母の笑顔は先ほどにもまして凄い。 「さぁ、これで最後の締めっと…高志君のほうはあーくんがやってくれるし。二人並んだ写真も絶対に撮らないとね。あ、でも、今度は誠人君も呼んで、スリーショットも撮りたいわ」 …もう勝手にしてほしい。母のわがままには正直言ってついていけなかった。そして、それを後日必ず実行する母には参ってしまう。母は、有言実行を信念に活動していると言っても良い。絶対後日、またこうやって玩具にされるのが目に見えている。 髪のセットが終わり、もう一度浴衣に袖を通す。帯を締め、やっと形になった。 「うん、大満足だわ。やっぱり、仁美は素材が良いから何でも似合っちゃうのよね」 親馬鹿だ。自分でも確かに似合っているとは思うが、別にここまで来るのに何時間もかける必要があったのかと疑問だった。しかし、久しぶりに母に付き合って疲れもしたが、その疲れは1時間前から消え去った。なぜなら、アイツの浴衣姿を見れるからだ。絶対笑ってやると決めたのだ。そう、頭の中からアイツの危険度など、ほとんど覚えていなかったのだ。 「あーくん?高志君のほうは準備できた?」 「もちろん、完璧!仁美のほうは?」 兄の声も浮かれていた。確かに、日頃からモデルがほしいと言っていただけに、今回はちょうどよかったのかもしれない。自分の勉強のプラスにもなると思ったのだろう。ましてや、プロである母のプロデュース付きなのだから。 「えぇ。今終わったわ。せぇので、この仕切っている障子を開けるわよ」 「わかった。せぇの!」 開かれた障子の向こうにはアイツがいた。だけど、浴衣を纏っているからか、アイツがアイツに見えなかった。どこかいつもと違う雰囲気を持っていた。 「はい。2人並んで、写真撮るからね?」 無理やりアイツの横にやられ、写真を撮られる。アイツも私も苦笑気味だった。だが、兄も兄でその様子をにっこりとしながら見ていた。母はカメラを持ち、もう少し笑ってとか言っている。今の時刻は16時45分。あぁ、これが17時まで続くのではないかと予想したが、案の定17時まで続いた。 2009/9/29 Copyright (c) 2009 Akari Minaduki All rights reserved. |