美輪先輩が昨日告げた時刻、9時ぴったりにチャイムを押してきた。1秒も遅刻せず、1秒も待っていない。いや、もしかしたら兄からしたら嫌がらせの域なのかもしれないが、待ちに待った手錠の鍵を持つ兄がやってきたのだ。
 玄関の扉をあけるとそこには、兄と美輪先輩、それにりっちゃんの3人がいた。
「おはよう、諸君」
 兄貴がすがすがしい笑顔で声をかけてきても、怒りしか込み上がらないのは、人生ゲームにのめり込んでいたとはいえ眠いからだ。やはり、徹夜は体に悪い。それ以前に、手錠をコイツに渡したことを追求する必要があるかもしれない。
「おはよう……じゃないわよ!鍵をさっさとちょうだい!」
 それだけのために徹夜したにすぎない。今から絶対、家に帰って布団の中に入って今日1日は寝る!誰にも邪魔なんかさせてたまるものか……そう思っていたのに、
「じゃぁ行くか」
「は?」
 鍵をくれるのかと思いきや、わけのわからないことを言われる。
 行くって何処に?私はこのまま隣の自分の家で寝るんですけど!!
 私だけじゃなく、私と手錠で繋がれたままのコイツも稚香も何が起こっているかわかっていないようで固まっていた。此処は言い返すのが当たり前だと思ったのに、気づけば私達3人は兄貴の車の中に押し込まれていた。もちろん、私とアイツは制服姿のままで手錠も繋がったままの状態だ。
「ちょっと何処に行くのよ!」
 兄貴が運転席に座った途端に声をあげた。
「キャンプ行くぞ!キャンプ!」
 兄貴がまたふざけたことを言い始めた。まだ9月中旬だけど、キャンプっていえば普通夏にやるものじゃないの?いや、それよりも……制服に手錠という問題なものがあるんだけど。
「何ふざけてんのよ!キャンプの季節じゃないわよ!」
「まぁ、その辺は気にするな。俺がルールだ」
「兄貴がルールなんていつ決まったのよ」
 確かに兄貴のいうことに逆らうなんて誰もしないけど……りっちゃんも美輪先輩も兄貴のわがままで此処にいるってことなのかな?
「神野家では1に母さん、2に俺がルールだ。ということで、仁美は俺の奴隷だ」
 ……奴隷扱いに頭に来るがそんなことはどうでもいい。
 私だけ騒いでいるようで、コイツも稚香もりっちゃんも美輪先輩も静観している。黙ったまま、何も言おうとはしない。文句がたらたら出てくるのは私だけなのかもしれない。
「意味分からないわよ!」
「分からなくて結構。俺だけが分かっていれば良いんだから」
 兄貴はそう言うと車のエンジンをかけて発進させた。

「で、何処に行くつもりですか。彰人さん」
 ようやく私と兄以外が口を開けたのは車を発進させてから5分後くらいだ。
 私は車を発進させた後もがみがみ兄貴に文句を言っていたが、兄貴は笑って流すかはぐらかすしかなかった。
 というより、私が1人騒いでいるのに、何も動じることもなく車を運転している兄に驚愕する。噂で聞いたけど、運転中は集中力がいるから邪魔されると運転が乱れるんじゃなかったの?そんなことをお構いなしに私は攻めていたけど、今思えば事故でも起こされたら、もしかすると今頃賽の河原にいるかもしれない。
「だから言っただろう。キャンプって」
「……早く鍵を渡して家に帰してください」
「仁美とお前の様子からなんとなく想像していたけど、お前等寝てないからそうかっかしてんだろう?」
 兄貴に寝てないことがばれたって構わないんだけど、わざわざ聞いてくることを考えると、一緒に寝るのを期待していたとかなの?
「だったら何?」
「せっかく、既成事実作ってやろうと思ったのに……残念」
「何言ってんのよ!既成事実とかにならないでしょう!!」
 兄貴はやっぱり期待していたみたいだ……というより、本当にこんなのが自分の兄だなんて思いたくない。でも、兄はやっぱり兄だからしょうがないけど、頭を抱えてしまう。せめてもう少し常識人であってほしいと切に願う。
「けど今時の高校生が一緒に寝たって言ったらどんな想像すると思う?」
「それは……」
 漫画やドラマに毒されているだろうから、たぶん“寝た”という単語に過剰に反応するに決まっている。ピュアな心を持っているのは小学生……いや、今時の小学生は生意気だ。夏祭りにみたあの子たちを思いかえしてみてもそうだ。ピュアな心を持っている子なんて既に赤ん坊くらいしかいないのかもしれない。
「もちろんあっちのほうを想像するだろうね……ましてや噂の仁美とたっちゃんなら絶対に」
「ちょっと、稚香まで何言ってんのよ!」
 今まで黙っていた稚香まで入ってきて、なんだかもう急激に恥ずかしくなる。あっちのほうとか……言葉に出さなくても、頭の中で直ぐに何か理解出来てしまうのだから恐ろしい。
 それよりも稚香も寝てないのに、私と違って随分良郵送に見えるのはどうしてだろう。私はとてつもなく眠い。そして手錠で繋がっているコイツも眠そうである。
「落ち着きなさいよ、仁美。既成事実ができなくて私も残念だけど」
「りっちゃんまで言わないでよ!」
「仁美ちゃん、落ち着いて。そうやって慌てている様子を見るのが好きな変態がいるんだから」
 アイツの横に座っていた先輩が諭すように私に告げた。変態が誰かなんて直ぐにわかった。手錠が繋がれていないほうの手を思いっきり振り上げて力を込めて振り降ろした。
「痛っ……何すんだよ」
「変態はアンタしかいない」
 手錠で繋がっているコイツの頭を叩きつけてやった。利き腕じゃないから力は半減していると思うけど、それでも殴らずにはいられなかった。アイツは痛いと言いながらも全然痛そうな雰囲気は少しも出さないところがさらにムカつく。遥か彼方といえるほどの昔にはこれくらいで泣いていたのに、時の流れは恐ろしいものだ。
「まぁ、俺もそういう意味では変態かもしれないけど、俺よりも彰人さんだろ?」
「兄貴も後で鉄槌を喰らわせるに決まってるわよ。運転中にやって事故でも起こされたら堪ったもんじゃないからね……」
 コイツがあっさりと変態と認めたことにもムカつくが、今はそんなことよりも何処に向かっているかのほうが知りたかった。
 キャンプに行くと言っているけど、そんなの建前で何処に連れて行こうとしているのか……きっと繰り返し聞いても“キャンプ”としか返って来ないような気がしてならない。
「それはそれは怖いな。まぁ、キャンプ場着くまで大人しくしてろ。それまで、寝ててもいいから」
 ……本気でキャンプ場行くつもりなのかと疑問だったけど、その言葉に安心したのかとてつもなく急に睡魔がやってきて私は眠りについた。
 もう眠気に負けた。後で何を言われようがどうでも良くなってしまった。
 結局私は、兄に敵わないのだ。

2010/12/1

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