仁美のお母さんとの約束の時間になったため、家を後にする。といっても、隣のため、歩いてほんの数十秒くらいだ。
 どうしてか緊張してしまい、チャイムを押すのを戸惑う。だが、仁美のお母さんと言う最強の存在相手に思いきって押した。もう何年もチャイムを押していない。そして、仁美の家にも上がっていない。昔はよく遊んでいたから、しょっちゅう転がり込んでいたような気がする…しかし、彰人さんが絡んでくると嫌な思い出しか残っていないような気がする。俺が仁美のことを恋愛対象で見ているとわかっていたからだろうか、何かと絡んでは仁美との仲を邪魔されたような気がしてならない。いや、あの人の基本は、『仁美命』というどれだけシスコンなんだと呆れたことがしばしば。それが嫌だったのか仁美も、あの彰人さんには何処か距離を置いている感じだった。
「ごめんね。高志君。1時間も前に呼び出して」
 何においても最強すぎて、誰も逆らえはしない仁美のお母さん。この人に逆らえるのってそうはいないと思う。
「いえ、久しぶりですね。仁美のお母さん…」
 会う数は減ったが、やはり家が隣ということでそこそこ挨拶ぐらいは交わしていたが、こうやってちゃんと会話するのは緊張してしまう。
「本当よね、あの子ったら、高志君のことも喋らなくなっちゃったからねぇ…でもね、お母さんからは話を聞いてるのよ」
 …あの馬鹿母が喋っているだと?まぁ、母と仁美のお母さんは仲が良くて、二人でお茶をしたりしているという話は聞いているが、余計なことまで喋っていそうで怖い。母に喋ってなくても何処からか情報を仕入れ喋りまくるから、もしかすると、俺が仁美に告白したことも伝わっているかも知れない。そう考えると納得できるような気がした。予定より早く呼びだしたのは、何か責められるのではないであろうか。
「そうですか、で、何の御用で…?」
 平静を装っているが、心臓の鼓動が速く波打つ。1時間も早く呼び出すというのはそれなりの何かがあるのだろう。1時間そのことについて追及されるというのも仁美のお母さんならありそうで怖い。というよりは、娘の恋話に興味を示さないわけがない。昔からそういう人だということを小さい頃の発言から、俺はわかっている。
『ホント、仁美はモテモテね。将来は誰と結婚するの?』
 なんて言って、いつも仁美をからかっていたからな。
「えぇ。上がってくれる?高志君」
「ぁ…はい」
 あぁ、何が待っているんだろうか。とはいっても、仁美は今頃玩具にされているから、そんなことはないと思うんだけど…
 家に上がらせてもらうと、とても懐かしい感じがする。
「仁美の準備がまだ終わってなくてね。ちょっと待っててね。すぐに終わらせて高志君の準備にかかるから」
「…へ?」
 間抜けすぎる声だと思ったが、今なんと言ったかもう一度確認したい。俺の準備?なんのことだ…?
「女の子を引き立てるのは男の役目でしょう?だから、高志君にも浴衣来てもらいます」
 浴衣だと…?どうしてそうなるのかわからない。確かに、今回女子は強制的に浴衣着用とか言っていたが、俺たち男にはそんなことなかったはずだ。それに、女性を男性が引き立てるっていうのはわかるが、そのためにどうして浴衣なのかも理解しがたい。いや、仁美のお母さんがいうからには絶対なのだろうが、どうもこうも納得できない。
「ちょっ、ちょっと待ってください。そんな話、俺聞いてませんけど…」
 いや、聞いてなくて当たり前だ。絶対焦ってる。いや、この人の玩具になるのが嫌なのかもしれない。つか、嫌だ。今までの経験と仁美から聞くには玩具になったら最後、終わるまで逃がしてくれないと言うのだから!
「心配いらないわ。誠人君と、高志君のお母さんから許可はもらっているから」
 誠人の野郎、アイツ何を考えてやがる。それに、母さんも母さんだ。ただ俺の全身コーディネイトをその道のプロである仁美のお母さんがしてくれるのが嬉しいだけだとしか思えない。絶対帰ってきたら文句言ってやる。いや、今怒りを向けるのは誠人だ。そんな話少しも話してないし、聞いた覚えもない。それに、もしかして男子の中で浴衣って俺だけってことになるんじゃないだろうか。
「いや、それでも…」
 なんとしても阻止したいが、この人相手に阻止できるなどあり得る筈がない。少し黒い本音というのを出しても良いと思うが、そんなことをしても、この人は動じないと思う。つか、絶対性格からして動じるはずがない。
「大丈夫よ。ちゃんと1時間もあれば準備ばっちりだから。ねぇ、あーくん?」
 …あーくんって、彰人さんのことだよな?ちょっと彰人さんとは関わりたくない。いや、関わると碌なことがない。それにどうしてこのタイミングで彰人さんが出てくる。絶対、はなから計画していたとしか思えない。
「そう、俺に任せておけって。高志」
「彰人さ…ん…」
 視界の中に彰人さんが入ってくる。あぁ、これでもう完璧に逃げられない。そういえば、彰人さんって美容系の学校に通っていたんだっけ…それに、夏休みだし彰人さんが居たっておかしくないわけで…
「心配するな。もちろん無料でやってやるから。俺に任せろ」
 任せろと言われても、安心できない。それに、お金取るつもりだったのですか…変わっていないというか、相変わらずの人だと実感する。もう逃げられない。大人しく自分の身を差し出したほうがいい。
「…はい」
 イエスの選択肢しか俺には残っていなかった。
「んじゃ、俺の部屋でやるから先に行っといてくれ。場所、わかるだろう」
「はい、わかりました…」
 俺は浴衣の準備とは別に嫌な予感がしてならなかった。仁美命の彰人さん。重度のシスコンの彰人さんに仁美に告白したことを知られたら、確実に殺される。いや、もっとひどいことが起こってもおかしくない。ただ願うは、彰人さんがこのことを知らないでいることだけど、知らない確率のほうがあからさまに低いような気がした。

2009/12/12

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